「発見するデザイン、ともに生きていく家」
はじめまして、加藤幸彦(エス)です。
人それぞれの個性と公共的価値を同時に重視し、「自由で美しい空間デザイン」がどうあるべきかを常に問いながら、数多くの「家」を設計してきました。
「家」は、ひとが生きるための安全なシェルターであるとともに、豊かな人生のための風景をつくる装置でもあります。
わたしたちは自由に、そして美しく生きるべきです。
だから、だれもが「家づくり」「場所づくり」を思い通りに楽しむことができる。そして自分なりの「美しい暮らし方」を発見し、「家」とともに未来へ生きていくことができるのです。
一級建築士事務所エスは、1997年に杉並区久我山に設立。ながい活動を通して多くの様々な建築主さんと出会い、沢山の対話と共同作業を経験してきました。これからもこの経験と実績をいかし、「自由で美しい家」をどんどん作っていきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
▶インスタグラム:https://www.instagram.com/katouyukihiko
■ 一級建築士登録269165号
■ 一級建築士事務所エス(東京都杉並区)東京都登録42425号
1966年:愛知県生まれ
愛知県立中村高校・ 横浜国立大学(建築学科)卒業
WORKSHOP.INCなどいくつかの設計事務所勤務を経て、
1997年:東京都杉並区にて「一級建築士事務所エス」設立。
住宅、商業施設、公共建築など数多くのジャンルに渡る豊富な実務実績をもつ。
出身は愛知県、名古屋市と瀬戸市のあいだの尾張旭市というところです。大学入学を折りに東京へ。都内の色々な場所で暮らしたあと、杉並区の久我山に移り住み、小さなアトリエ「エス」を設立しました。
ここを拠点として、様々なデザインの仕事を手掛け、首都圏から地方まで、ローカルな小さいリフォームから大規模プロジェクトまで、さらにグラフィックデザインやWEBデザイン、境界をまたいで縦横無尽に活動してきました。
子どもの頃は、工作や天文学が好きで、10代半ばからは、バンド活動、写真、絵画、いろんな創作活動に夢中になっていました。それが現在の僕にとっての「ものづくりの原点」です。
料理が大好き(だからキッチンの設計が得意です)。食べること(お酒が..)が好きです。それと音楽を少々たしなみます。
たまの休日は、のんびり音楽や映画を楽しみ、近くの吉祥寺を散策したり。そして夕方には、晩酌しながら晩ご飯の料理をしつつ時々ギターを弾く…そんなふうに過ごしてます。
エスでは、施主と設計者のコミュニケーションを重視した「発見するデザイン」を目指しています。
(1)テーマのある家
好きな音楽・好きな食べ物・お気に入りの場所・行ってみたい国・思い出・今の気持ち・そして将来の夢 ..
いっぱい色んなことをお話ししましょう。
たくさんの「想い」や「イメージ」を話し合い、その家族だけの固有の「テーマ」が発見され、共有されます。
そして、その「テーマ」のもとで、「家」の姿が実現していきます。
(2)名づけ
「クウソウノイエ」「さくら✳︎ファクトリー」「海のいえ、風の工房」「つむぐ家」「チトケトハット」「ショコラの家」… 。
建主さん家族と加藤幸彦(エス)が一緒につくった家には、すべて素敵な名前がつけられています。どの名前も、自分の子どもに名付けるように、いっぱい悩みます。「名前」は、家のテーマとデザインテイストをあらわしますから、エスでは「建物本体」だけでなく、「名づけ」も大切にデザインしています。
(3)あふれるほど沢山の想いが重要
どんな無理難題も、数えきれないほどの要望も、どんどん伝えてください。
ただし、エスは、それらを残らず全部実現させるためにお聞きするのではありません。
ご家族が、あるいはそれぞれの個人が、どういう好みか、どういう人生観や価値観を持っているか、を総合的に把握させていただくためにお聞きするのです。ですから、出来るだけ全部、思っていることを話してください。
家族で意見をまとめておく必要もありません。ばらばらでOKです。最後までまとまらなくたって平気です。意見が違うのは当たり前。
ミーティング重ね、デザインを進め、やがて、その家族の沢山の想いが徐々にシンプルな解決アイディアとして姿をあらわします。
(4)「創造」よりも「発見」
表現、デザインは、「つくる」のではなく、「発見」するものです。
たくさんのミーティングと情報交換をとおして、住む人の個性にかなった「独自の方法」が徐々に発見されていきます。
最初のラフプランのとおりに出来上がった事例は、かつて一度もありません。
最初のプランは、それから始まる「家づくり」のきっかけという役割です。
ミーティングを繰り返して、何パターンものプランを作成し、完成へと導きます。
少年時代からものづくりに夢中、そして建築に関わっておよそ40年になります。
かつて建築を学んだ大学生時代、バブル時代の街にあふれる浮かれた自己表現に疑問を持ち、その反抗から「デザインしないデザイン」を思い立ちました(おかげで卒業設計は理解されず、卒業もヤバかった)。
目に見えるモノ自体よりも、見えない何か..もっと重要なことをデザインするべきじゃないか..そう考えていたのです。
その考えでずっと活動してきましたし、今もまったく変わっていません。
キャリアを通じて、様々な人たちと対話しながら「デザイン」を探してきました。見た目がカッコいいだけのものはつくっていません。
施主さんたちとの深い対話の中で、やっと辿り着いた「本質」のようなものに近づけたものが沢山の作品として残せた、と自負しています。
でも「本質」は世界に「たったひとつ」じゃありません。
さまざまな場、さまざまな環境のなかで、いろんな「本質」が複雑にからみあって存在しています。もしかしたら、その「からみあうさま」そのものこそが本質なのかもしれません。
私と施主さんたちとが議論して(時にはごはん食べながら雑談して^^)見つけた本質のようなものは、「大きな本質の一部」だったのだと思います。
その「大きな本質」をひとことで表せるだろうか?難しすぎてなかなかうまく言えないけど、思い切って言ってみよう。
「自由であることへの生態系」。
好き勝手になんでもできる自由..勿論そういうことではなくて。自らが経験したこと、身につけた教養、思い描く夢、愛する人が喜んでくれること、それらが抑圧されず、普通に生活の中でいかされて空間として実現させられる自由。そのさまざまで無数の自由が生き生きとからみあい、それがまさに生態系のようにシステムとして作動して世界を形づくる。私はそんな世界こそが美しいと思います。
今、世界はますます抑圧され、生きにくいものになりつつあると私は感じています。だからこそ、私たちが幸せで美しく生きるためには「自由な空間」が必要なのだと思います。
自由とは、集団的意思であったり、とても個人的な意思(思い)であったり、さまざまなサイズで存在します。それらの本質をユーザーや権利者とともに深く考え、空間デザインへと変換していくのが我々建築家の仕事なんだと、あらためて思います。今こそ、それが求められているんじゃないか、そう思います。
2025年5月記す。伝わったかなー(^^)。